天球儀のすきなところを書いたブログ

当方、あんまり感想ブログやらレポートやらを文に残してこなかった人間 140字以上の文字表現苦手です正直

 

しかしながら、今回末満さんが手がけた「天球儀」という舞台。

 

大好きなやつでした 全部 うーん!すき!!!!!!!!!めっちゃすき

末満さんの舞台で実際に目で見た補正込みですが一番物語、コンセプトが「好き」かもしれない

 

さらにこの舞台が円盤として記録に残る可能性が低いということを受け

「忘れてしまう」前に記録として残さねばならないな 大脳皮質が健常である2016年の人間として と思い立った次第で

 

以下めちゃめちゃネタバレあります(末満さんの他作品のネタバレもあります)

あと「すき」って言葉で全部解決してます

 自分の備忘録です

なんか思い出したら追記します

思い出さなかったらしません

 

・円

ぐるっと取り囲むようにある山荘「天球儀」の舞台装置

この舞台の背景もバランスが良い

植え込みがある大きな円(山荘であることを示す 自然風景)

円の小窓(降り止まない雨の演出)

そして物語象徴たる天球儀(側にある呼び鈴)

この3つの円で構成される天球儀の山荘内の景色が

ひとつの世界の完成系というか 美しい

 

そして作中でも球体、円を連想させる単語

「スフィア」

ミッシングリンク

クローズドサークル

「天球儀」

という言葉がかなり多めに使われてたような気が。意識的に出してたように思えたんだよなあ

円で構成される世界の中の円(球体)を連想させる言葉で紡がれる話

世界の閉塞感がぎゅんぎゅん上がっていきます

 

末満さんの作品は閉鎖された世界からの逸脱というテーマを扱うことが多い気がしているのですが、

今回「(殺人)事件が起こらない」という前提の話である以上、閉鎖世界の演出が難しい上で、言葉の紡ぎ方や舞台装置の構成で球体の閉塞世界を作り上げてたように感じました

円、球体 世界…

 

LILIUMのときの閉ざされたサナトリウム、の雨の描写もそうなんですが雨の描写は夢の中のような演出なのかもしれないなあとか

誰かが見せている夢には雨が降るのかな

 

末満さんの作品の雨ー海ー水あたりの描き方って

どこか意図的というか ワクワクします (アレン少年の手のひらの海、メリーベルを導いた湖とか)

 

・星と少年

星を手に掴むという末満作品絶対命題

またひとり星に手を伸ばしてしまったか…

今回この「少年」の描き方が秀逸だったなと。

SPECTERのときに「ノーム」の年齢が思ったよりずっと幼かったときに覚えたような違和感が 解消されたといいますか

「少年像」って人によって年齢や容姿の認識やあるいは理想が違うものだと思うんです

だからこそ、今回「人格(記憶)」として登場させることで、蓬茨奏音の容姿ビジュアルを与えないということですとんと落ちました。

いやこれ二輪咲きというステップあってこその「天球儀」でしょ…人格表現

二輪咲きは、2人の演者が1人の人物だったというギミックでしたが、天球儀は逆に1人の演者が2人の人格を含有してました

うーん新垣里沙さん すごいや

新垣さんの小柄な体躯や声が少年演技のときにも凛と映えていてよかったです。

蓬茨奏音という耳慣れしない名前も、

蓬茨は実在した天文学者さんからとっていそう

奏音canon 輪唱からとってるのではというのを聞いてなるほどと

さすが

 

そして蓬茨奏音少年曰く(正確には母) 「人は死んだら星になる」

またギルティな死生観が出てきてしまいました

じゃあ死ねない人は一生星になれないのかクラウス…ソフィ…

不死が星から最も遠い存在だと定義されてしまったような感覚さえあります

だからこそ蓬茨奏音少年は死ぬ必要があった 完全に

肉体の死と脳の死における人の死の定義

ただどちらかが死んでいないと生きているとも言えてしまう 死ぬ必要があった少年

この物語で一番個人的に大好きなシーンは、スフィアを7人が開示し、蓬茨奏音という少年の記憶が7人のなかで混在してるときの7人の慟哭

また7人で手をつなぐところも輪になって どこまでも円、世界を意識させられる でもあの円の崩壊が世界が綻んだ証明のような

慟哭シーン、富さんだけ通しで嘆いていて

迫真の演技でした

閉ざされた世界の逸脱 あそこで満天の星空を見上げた蓬茨奏音少年が星の名前を叫んで手を伸ばすところ

もうね ほんと泣くでしょ いや つらい 美しい

ギュンギュンに閉鎖世界つくってからのここの逸脱の美しさ

舞台の上には星空なんて舞台装置も星空の映像が流されるわけでもないのに

天球儀という閉ざされた世界を抜け出して満天の星空を見上げて「あの天球儀を登るんだ」と手を伸ばした少年の光景がそこにはあったんですよ 少年の役者も星空の絵もそこにはない紀伊國屋ホール4階に すごいなあ舞台って

実在しないものを見たってことはなんかこちらが夢の中にさえいたような感覚もあるというか

・7人の登場人物

剛立さんが怒りっぽさ、そして富さんの「悲しい」という言葉

推測なんですが7つに分かれた蓬茨奏音少年の分れ方って人の基本的感情7つなのかなとも

悲しみ、 幸福、怒り、軽蔑、嫌悪、恐怖、驚き

順に富さん、大師堂(出口?)、剛立、春海、鏑木、國枝(鏑木?)、出口(大師堂?)

というのも登場人物7人、まるで統一感ないのにまとまりがどこかあったように感じて…

物語の中で生まれる感情をそれぞれ請け負ってたようにも見えました。

だから剛立の怒りという感情に同調する怒りのキャラクターはいないし、富さんの悲しみを共感するキャラもいない、國枝に恐怖するキャラもいないし、春海を軽蔑するキャラクターもいない

22年前、富さんは生後間もない時期で死んでるのでほとんどの人生と少年のスフィアに上書きしていったからこそ適合したのか、それとも悲しみという感情がやっぱり(虐待を受けていた?)富さんと少年が深く共感したからこそ適合したのか どうなんでしょうね

不明点として残ってるのが鏑木が一番はじめに現状の違和感に気付いたところなんですが

なんかわかった人いらっしゃったら教えてください

あと剛立の動物園の夢

あれはいつも夢で見る天球儀と、自分がそこにいる天球儀が混濁したっていう夢と現実の区別がスフィアの誤作動でつかなくなったということなのか、それとも富さんがなんか外から仕掛けたのか…

・あと以下所感

・夜中、富さんが呼び鈴ちんちんって鳴らすところ最高 不気味

・ equalの舞台と対にして見たい作品

人の死の定義、思い出記憶のあり方、自己同一性

あの世界も閉塞された部屋(世界)から逸脱する話だったけれど、equalが静なら天球儀は動だな…

equalのときも散々思ったけど照明演出描写が綺麗。美しい。時間の経過や世界の深まりが光の演出でこうも幅が出るんだなって

equalのラストのすいこまれるような扉の光とかもすき 見直したい

・針が浮いてしまうレコードと鏑木の取り出した音楽プレイヤー(とスフィアにdlする話)、

古典ミステリーと名探偵コナン、そして晴海のメモ帳とスフィア

この新旧対比も どちらを肯定するのでもなくどちらを否定するのでもなく 世界に深みが増してたような気がしました

ただメモ帳の演出 千と千尋の神隠しみたいなそういうの 堪らない

・大師堂さんの演技、コミカル担当というか めちゃくちゃおもしろかった…

何回もひいひい笑わされました 大師堂さんのコミカルさと春海くんのシニカルさのハーモニー

・大師堂と富の身長差、萌えしかない

ゴールデンレトリーバーとチワワだった

・きのこ頭は可愛い法則

・國枝さんが鳥取、出口くんが博多、となると天球儀の場所ってどこにあるのかなとか

・電気羊、アガサクリスティ、ヴァンダイン、とかなんかオタクとして消費者それなりにやってたら、なんかしらの創作物で引用される原典が作中モチーフにふんだんに使われた玉手箱 オタク好きに決まってるでしょ!!??

オタクに見てほしい クラシック、シューベルトを流しながら作中の不穏な気配と合わせてレコード針が浮いてノイズが生まれるあの演出にドキドキしてほしい

あれがアルタイル、ベガと母親を殺した少年の悲しみを背負って泣いてほしい

また思い出したら追記します

メモおわり

まとめると 天球儀よかった すきです